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それからは休日の度に自転車で通った。
寒い日々で、もう少し暖かくなれば客足も増えるのに、とオーナーが言っていた。思った以上に儲からない、これならコンビニバイトの方が良かったかも知れない、煙たい部屋で僕はそう考えていた。
部屋には名前も知らない男の子たちがいっぱいで、みんな煙草を喫っていた。このうちの誰かと、今、キスをしたら煙草の味しかしないと思って眺めていた、それでも良いと思った。キスをしようと思ったけれど、しなくても分かると思った。
客が来る度に出て行き、戻ってくる。戻ってきたら、その都度、お疲れさま、と言い合い、いったいどんなことをどんな風にしているのだろうと僕は考えていた。彼らの笑顔からは一片の陰湿さも感じ取れなかった。
僕の初めてのときも大したことはなかった。こんなものかと思った。ただ時間が早く過ぎればいいと、行為の途中もずっと時計を盗み見てばかりいた。いやらしくたるんだ中年男はやさしかった。
その頃、ハルシオンは眠るためではなく、落ち着くためだけにのんでいた。ちっとも眠くならなかったし、安心もしなかったけれど、心の棘がしばらくの間だけ滑らかになるような気がした。ホテルで泊りの客の飲みものに砕いて溶かしたことがある。早く眠って欲しいと思うのと、どうなるのだろうかと試してみたかったのと。その足どりは覚束なくなってしまったけれど、結局、最後まですることになった。こんなことに使って勿体ないと思った。ただ、薬を切らすことは恐怖だったので、欠かすことはなかったけれど(無くなる前に必ず病院に通っていた)。
夕日の下で2駅分の道を歩くとき、アルバイト明けに夜の街、自転車のペダルを漕ぐとき、不意に泣きたくなり、その度にハルシオンを飲み下した。泣きたいのか笑いたいのか、どうしたいのか何も分からない。ただ目前に現れることをこなしていくだけだった。
清潔な嘘吐きの笑顔は、そのときも今も得意だ。

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左手首を薄く切る。カッターナイフが冷たくて心地良い。血が滲んで流れ出す。けれど、ティッシュペーパーで押えればすぐにとまってしまう、その程度の薄い傷だ。血が止まるのが、しかし何だかさみしくて、また薄く切る。
毎朝、誰もいないフロアでそんなことを繰り返していた。傷跡をみれば安心できた。血が流れるのをみれば安心できた。
それだけだった。
痛痒い自分の手首をみつめて、これを誰かに見付けられるのを待っていた。
毎朝5:00前に起き、始発直後の電車で通勤していた。周囲はいつもの見慣れた顔だ。いつも通りの駅で、いつも通りに車内が混み合う。
手首を切りたくなった。
けれど車内でカッターを出す訳にもいかず、吊り輪をもつ左腕に爪を立てた。皮膚の下で血が滲んで赤くなった。痛かった。ここにいるのは僕だと思った。もう一度爪を立てた。
僕の両腕には爪のかたちの青痣が広がっていた。
僕のとりえは身体だけだと思っていた。
体型と食事には気を付けているし、太るのは嫌いなので、悪くない肉体だと思う。
お金がなくて借りる人もいなかったので、売りをすることにした。深夜のコンビニバイトも考えたけれど、会社に勤めていたし、人肌は好きだったし。
相談できる人もいなかった。
26才。
電話をしたら若い男の子が出て、その礼儀正しい口調に少し驚いた。面接の待ち合わせはロフトの横にあるベンチで、寒い日に寒々しい空の下で、僕はひとり待っていた。約束の時刻より少し前に、かわいい顔をした男の子がやって来て、そのまま仕事場であるマンションの一室へふたりで向かった。
面接と言っても、仕事のやり方や部屋の使い方、支払いのシステムを教わるだけで、動機だとかそういう話をしたりする訳ではなく、採不採は電話の時点で決まっていた。くたびれた背中のマスターは常識的で親切だった。
写真を撮って、契約金として1万円を手渡された。いい身体だと言われた、売れるよと言われた。けれど、僕の興味はその1万円札だった。これで新幹線の切符を買えると思った。
ただそれだけのことだった。
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