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例えば、今日とか?
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悩み。
ないのに、なければ僕は何処からか探し出してくる。
悩みたくないのに、
悩んでいないと僕でないみたい。

感情をそのままに表せる人が羨ましく思う。

何だか、とても、疲れた。

*

楽しく出来ない自分。
楽しい時間を作り出せない自分。
何にも思い通りに出来ない自分。
本当に嫌だ。
どうしてこんな人間なのだろう。
本当に嫌気がさす。
どうして。
どうして、もっと、もっと。
優しい人になれないんだろう。

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空っぽ、というのは、そこに元々何かが在ったから、
だから、空になっている、という状態があるのだと思う。

ならば、今みたいに、
何もないのだけれど、
けども、始めからなかったのかもしれないし、
どこかで奪われたのかもしれないし、
どこかで落としたのかもしれないし、
どこかで捨てたのかもしれない、そんな状態は何と言われるものなのだろう。

何だか、元気がなくて、元気になれない。

生きている意味も義務もないのだと、あの人は言っていた。
僕の代わりなんていくらでもいるのだと、知っている。

じゃあ、どうして今いるの?

家族なんていないし、
今までここにいる義務だと思っていた彼女もいなくなってしまった。
楽しくするにはエネルギーが要るのに、
楽しくないとエネルギーが出てこない。

いつになれば僕はこのループから出られるのだろう。
そう思いながら、
そう思うこともそう思わないように逃げることも
相変わらずだ、と、少しだけ嘲笑が浮かぶ。

たぶん、真剣に向かえる何か、誰かがいればいいのかもしれない。

DM、HT。
TC、TG、LDL、BS、BP。
そんな言葉は、きっともう医療関係者でなくとも知っていると思う。

昨日は研修で開業医のお話を聞きました。
こういう話を聞く度に、
人間ってこんなにしてまでここにいるべきものなの? って、僕は思ってしまう。
人間って、きっと緩慢に滅亡する方向へ落ちていっている、と感じる。

高血圧も、TCもTGも、BSもHbA1cも、その基準はどんどん下がっていて、
今まで治療対象じゃなかった人たちまで治療しようという流れになっているのは、
それらが、動脈硬化やASOや、心筋梗塞や網膜症や腎不全や、
そういう重大な疾患の原因となっているからだ、という訳で。

今、流行りのメタボリックシンドロームとか、メタボリックドミノとか、そういうやつ。

ドクターは、ね、
患者教育も治療の一環だ、と言うのですが、
何となく、僕は納得できないんです。
どうすればいいの? みたいな。
だってね、
HbA1cが8.0を超えてたって甘いものを止めずに、薬だってちゃんと飲んでくれない。
痛風発作を経験しているのに、コンプライアンスがすごく悪い人や、お酒を止めない人もいる。
病気自慢や検査値の悪さを自慢している人たちもいる。
喘息なのに禁煙しないんじゃなくて、できないんだ、と言い訳する人もいる。
  ま、逆にちゃんと飲んでちゃんと治そうとしている人もたくさんいるんだけどね。

のど元過ぎれば熱さも忘れる

そーなんです。
人間ってそーなんです。
痛い目に合わないと、それまでは自分とは関係の無いものだって過ごすんです。
それは分かるけれど、
そこまでして僕達はその人たちに薬を飲ませないといけないのか?
飲みたくないのに。
飲まないで捨てられる薬は沢山。
捨てられてる医療費も沢山。
負担金が上がって文句を言うのなら、その前に自分の健康管理をしてよ、ってね。
薬なんて飲まないでいられるなら、飲まないでいて欲しいと僕は本気で思っているんです。

例えばね。
このままDMを放っておくと、
腎障害や視覚障害、神経障害が出ますよ、と言ったって分かって貰えないだろうから、
もっと具体的に、
目が見えなくなるかもしれませんよ、とか、
歩けなくなったり、足を切断しないといけなくなったりしますよ、とか、
突然死なんていうのも特別なことではないんですよ、とか
そんなの言って怖がらせたって、効き目なんてない。
  怖がらせている訳ではないんですけどね、事実ですから。
どれだけ動脈硬化のリスクが高まるか、そのデータを知っているし、
それを突きつけたところで、実感してくれないし。

何て言うか、
自分の無力感と苛立たしさが募るんです。
そのくせ、もうぽっくりと逝きたいわ、なんて言われると、
勝手にすれば? なんて、絶対に思ってはいけないことも思ったり。
けど、きっとそんな簡単にぽっくり逝けないんですよね。
自分も周りもつらくて長い時間が待っていたりするのに。。。

そういうことをうまく伝えられない僕たちにも、勿論、責任はあります。
それは重々に分かっているから、
いかに教育していくか、それを学ばなければいけないんです。
けども。
けども、そんなにしてまで、生きる意味とか、価値とか、人間にはあるの? 本当に?
そんな疑問がいつも頭を過ぎります。

たぶん史上最大体積になっている気がする。
すげー太ってるー。
やべー、激やべーす。
…はぁ。
まぁね、食っちゃ寝、食っちゃ寝してたのが悪いんですけど、
そうでもしないと何が何だか分からなくなってた訳で。
とりあえず、痩せる。うん。
頑張るぞ、と。

今日はこれからスーツな人です。
なんでスーツやねん。
意味分からんけど、
まー、
そういう決まりらしいですから。

それより何より眠たい。
また感情が鈍化している。
他人事の感情みたいに思えてきてます。


さっき。
電車内で派手にこけた小父さんが、
そのこける契機になったお婆さんにひどく怒っていた。
その姿を見て、
感情を素直に表せる人っているんだな、と思った。

ほんとうのことを
人は
どれだけほんとうに言っているのだろう

そう思うと、
全ての笑顔が嘘に思えて、
   まぁね、他人の笑顔は嘘でもいいの
自分の笑顔が嘘に思えると、
あぁ、こんなにも心許しているはずの人にも
僕は嘘を吐いているのか、と落胆してしまう。
そして気分が悪くてどうしようもなくなる。

ほんとうのこと

楽しい人だと思われているから楽しい人であろう、
まじめな人だと思われているからまじめな人であろう、
優しい人だと思われているから優しい人であろう、
そういう風に僕は歩いてきた。
その、楽しさやまじめさや、優しさは
強ち、全てが嘘ではないのです。
けれど、
それがほんとうか、と訊ねられると、
それはほんとうではないのです。

ほんとうはもっと汚くて悲しくてぐちゃぐちゃしていて
我侭で自分のことしか考えてなくって。

例えば、全員にほんとうのことを言おうとは思わない。
けれど、でも、全員に嘘のことを言っていたら、
ほんとうは置き去りにされてしまって悲しくなってしまう。

僕は、一体、誰にほんとうを言っているのだろう。


ほんとうのはなしをしよう

もともと鬱な性格だったのだが、
毎日同じ繰り返しのデスクワークで、
話をする人も限られている、なんていう仕事は向いていなくて、
転職を何となく考えている矢先。
憂鬱に夜の散歩を繰り返したり、
ジムに行ったりしても気分は晴れなくて、
相変わらず、名前も知らない人と寝たりしていて。
ようやく始めたカフェのバイトが楽しくて、
仲良くなった友達も居たりして、そんな矢先。
祖母が倒れた。
僕は毎日看病で、
お金はどんどんなくなって
けれど、お金が要ると母に言われて(言わせて)、
僕はどうしようもなくて身体を売ったりして、
借金ばかりで暮らしていて。
その僕の転職先がようやく決まったとき、
祖母は病院を退院し、特養に入った。

その祖母が先日亡くなった。

僕はもう泣かなかった。
泣いている母も伯母も嘘っぽいのに、本当だった。
僕は祖母が亡くなる日をどこかで心待ちにして、
その日には、
母にも伯母にも血縁の人たちみんなに、
「これでみんな楽になれたんでしょう?」
と言い放つつもりだった。
けれど、そんなこと言えなかった。
みんな悲しかった。

看病をしていたとき、僕はつらかった。
自分もつらかったし、
つらい祖母を見るのもつらかった。
そのとき傍で助けてくれる人は誰もいなかった。
僕はとても苦しくて、
左手首をうすく切ったり、右腕に爪あとを残したりして、
そうして意地でも笑っていた。
僕だけは泣く訳にはいかなかった。
平気な顔をして笑い続けることが、僕の役割だった。
母にも伯母にも、父にも姉にも毎日毎日会っていた。
泣く祖母にも毎日会っていた。
毎日僕は笑っていた。
毎日帰る夜道で、
泣きながら僕は電話をして、
そのときに好きだった人とも別れてしまった。

その祖母が亡くなった。
僕にとって、祖母だけがそのときの同志だった。
いいところも悪いところも見てきた、
見せてきた祖母だけが同志。
だから、どうしたいのか、もう分からなくなった。
僕のつらかった過去の時間を
誰に復讐すればいいのか、
誰に慰めてもらえばいいのか、
もう忘れれば良いだけなのか、
それが、もう分からない。

祖母は不幸だったとは思いたくない。
もしも不幸だったのなら、
その不幸は全部、僕が背負おう。
だから、
祖母は今も笑っている、そう思っている。
桜の木の下。
春の陽光が美しい、青空の下で、
また来年見ようね、と言った。
公園で笑っていた祖母は、とても愛らしかった。

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